私と妻は元兄妹でした。
といっても再婚の連れ子同士だから血縁関係はありません。
そして、お互いの初体験は12年前の夏でしたが、
相手はそれぞれ別の人でした。
初体験の時、私は中3、相手は34歳の美しい継母でした。
そして妹は小5、相手は45歳の私の親父でした。
継母は19歳から4年間、某県議の愛人をしていたそうです。
県議は貧しい家庭の子供の高校進学をサポートする表の顔と、
支援した子供のうち評判の美貌を持つ女の子は
高校を卒業したら愛人に囲って処女から楽しむ、
裏の顔を持っていました。
継母は、県議の子を身ごもり、人知れず隔離されて出産後、
ホステスをしながら生きていて
妻と死別した父と巡り会ったのでした。
なので継母は美しい女性でした。
継母の女陰は重なりあった落ち葉が朝露に濡れているような
たたずまいで、私の肉茎に絡みつきました。
スキン越しでなければあっという間に果ててしまう
ヌメッた肉穴で、中学生の義理息子の肉茎を味わっていました。
毎日、継母は私の精液を搾り取っていました。
私は受験勉強の合間、美しくむせ返るような色香の
継母のセクシーな女体で受験のストレスと性欲を満たし、
見事高校へ合格しました。
その間、妹は父に少しずつ幼裂をほぐされ、
幼豆を剥かれて快感を教えられ、
やがて父の中年肉棒により破瓜の瞬間を迎え、
肉棒によりエクスタシーを導かれるよう性を開かれていました。
私が高校生になると、父と継母の目の前で、
小6の妹と性を交えました。
妹の幼裂は継母のそれとは違って全く色付きも変形もなく、
縦に溝があるだけでした。
継母の教えのとおり優しく妹の幼裂を舐めると、
既に父によって開発された小学生の体が反応して
ジンワリ淫汁が滲んできました。
幼豆はまだ包皮の中でしたので唇と舌で向きながら頃がすと、
幼い体をヒクつかせて過剰に反応しました。
父に仕込まれた妹のフェラは、
まだ形式がかって淫猥さに欠けていましたが、
そのぎこちなさがかえって小学女児には合っていました。
妹を仰向けにして生のまま幼穴に肉茎を沈めると、
ギチギチと拡がりながら私の肉茎を全て呑み込みました。
15歳の少年の肉茎に幼穴を貫かれた11歳の児童は、
深いため息のような喘ぎをはじめました。
継母に言われたとおり、少しずつ探るように肉茎を動かし、
妹の感じる場所を探しました。
ガンガン腰を振りたい気持ちよさをグッと我慢し、
女を快楽で狂わせるのが男の役目という
継母と父の教えを噛み締めながら、妹の反応に全神経を集中させました。
妹がビクつく場所をゆっくり亀頭で突いては
カリで削るようにして、幼い妹を喘がせました。
「アァ、お兄ちゃん、アァ、アァ、お兄ちゃん、アァーーー」
妹が私を抱きしめ、激しく乱れ始めました。
そのうち声は出さずに半開きの口で
ハアハア息遣いだけが激しくなり、
可愛い妹が顔をしかめて快感に震えていました。
つい数時間前、赤いランドセルを背負って
スキップしながら帰ってきた可愛い小学生が、
今、私の肉茎で覚えたての性の快楽に淫らに喘いでいるのです。
私は我慢の限界が来て、妹のお腹から胸にかけて射精しました。
虚ろな顔をした妹が微笑みました。
父に、「まあ、初めてにしてはまあまあだな。」
と言われました。
その日から、私は継母と妹を1日おきに抱いていました。
妹が中学のセーラー服に袖を通すと、
それまでのランドセル女児から一変、清純な美少女になりました。
母親の美貌を受け継いだ妹は、中学では男子生徒の憧れでした。
そんな妹は胸も少し膨らんできて女らしくなりました。(次回へ続く)
(投稿者 スクランブルファミリー)